考えたくなる、なんでもないやりとり
りゅーさんにお返事をもらってからというものの、次はいつ連絡出来るかな、なんてことを考えていた。
しばらく大きなイベントもないし、とするならばクリスマスか、なんて途方もないことまで考え出す始末。
真夏のこの時期にメリークリスマスって下書きを書くだなんて。
おめでたいにも程がある。
そんなことを日々葛藤する中で、あるブロガーさんの言葉が心にずっと響いていた。
私は自分に向き合うのならば、りゅーさんとの連絡は絶ち切るべきだと思っていたし、
その答えを周りに求めては、そこで自分も納得させようとしていた。
でも、実際はどうだろう。
向き合うといいながらもりゅーさんのことを考えない日は一日もなかった。
それどころか、連絡してはならないと思えば思うほど
溢れる思いに意味も分からず涙したり、
連絡したい思いに駆られてしまう。
そんな時、りゅーさんの働いている場所が大雨に見舞われた。
大丈夫だと思うけど、どうしても気になる。
返ってこなければ、それはそれでいいや。
思い切って連絡してみよう。
♢︰そちらも雨すごそうだね。ちょっと心配。気をつけて帰ってね。
すると、数時間後に
♠︰心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。
と返事をくれた。
ほんのひとこと、それだけでこんなに嬉しいなんて。
前回と今回、送って思ったのは、おそらく嫌われてはいないだろう、ということ。
これからも、何かしら送れば返事はくれるだろう。
りゅーさんは仕事に集中したいと言った。
それは連絡を絶つという風に私は捉えたのだけど、違うのかな。
仕事に集中したいだけではなくて、今の私とどんな風に接したらいいのか分からないんだろうな、というのは私にも分かる。
だから連絡を取らずにいようとした。
でも、なんでもないやりとりだとしても、
返事をもらってしまうと、その意味をまた考えたくなる。
連絡するということを義務にしなければ、連絡を取ることそのものはいいのかなぁ?とも思えて。
これからも送っていいの?
聞きたいのに聞けない。
それでも、前よりはずっといい。
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