隠しておいたあの言葉。
前にりゅーさんに言葉が欲しいとお願いして、バッサリ斬られてから、なんとなく私も
好き
という言葉を送らなくなった。
その言葉がなくてもちゃんとつながっていられる、そう思っていたから。
それからの二人のメールには甘さの欠片もない、最早生存確認の為のツール。
でも、どうやら私がその言葉を封印すると、言葉遣いが深刻になるみたい。
前回のブログ、過去のこともそうだし、
至って普通の内容を送りたいはずなのに、どうしても辛気臭くなってしまう。
そしてまたりゅーさんに指摘されるという、負のスパイラル。
りゅーさんはどんなk-co像を抱いているんだろう。
どういうk-coでいて欲しいんだろう。
それを考えると、どんなスタンスでりゅーさんに接したらいいのか分からなくなってしまった。
私がまたその言葉を使い始めると、りゅーさんにも求めてしまうのは分かっているから。
でも使わないと深刻になってしまう。
明るく笑顔でいたいのに、
りゅーさんにどう思われるかばかりを考えすぎてしまう。
本末転倒っていうのは正にこのこと。
考えに考えた結果、
ありのままに、素直に。
そこに行き着いた。
りゅーさんにもそれを報告。
でも、でも、いつもならスッキリするはずなのに、なんでこんな気持ちなんだろう。
前回の逢瀬から3週間経つ。
会いたいけど、会いたくてどうしようもなく震えることもない。
声が聞きたいとも思うけど、聞かなくてもやっていける。
私は今、本当にりゅーさんが好きなのかな。
ふと、そんなことを考える。
会う目処も立たないこの状況で、普通のメールしかしてないと、本当にただの同級生と連絡を取っている位にしか思えない。
だから会いたいとも、声が聞きたいとも思わないんじゃないか。
そんなことを考えながら走る。
あんなに楽しかった音楽も、ただ頭の後ろで流れているだけ。
帰ってきてからもう一度考えてみた。
TVでは90年代の神曲ヒットが流れている。
そうか、私は淋しかったんだ。
そう思った途端に涙が止まらなくなった。
本当はりゅーさんと話したいことがいっぱいある。
一人であの公園を散歩した時のこと。
私たちの母校巡りをこの前してきたこと。
りゅーさんと行きたいところ。
りゅーさんと食べたいもの。
少し先の未来のこと。
話したいことばかりが募りすぎて、でも今の現状ではそれを伝えられないこと。
この前の逢瀬の時も、無理矢理時間を作ってくれたから、りゅーさんの笑顔がいつもよりも疲れていたこと。
次の日もあるから少し早めに帰るねって前置きされて、私もそれを了承したはずなのに。
淋しい感情に鍵をかけてしまったから、きっと無機質になってしまったんだ。
本当は今すぐ会いたい。
声を聞かせて。
抱きしめて。
私の中の淋しい感情を認めてあげたら、やっと楽になれた。
ごめんね、これからはあなたのことも大切にするよ。
まだ、りゅーさんには内緒だけどね。
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